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『ゲド戦記』4巻まで読了して(内容含みます)。

「お盆休み」。夕方から、夫と子供は夫の実家にお泊りです(夫は子供の目付け役)。といっても、歩いてでも行けるような距離で「お盆」は関係ないんですが。孫を預かってくれる姑に感謝しつつ残り物で一人の夕飯を済ませて、のんびりと『ゲド戦記』の3,4巻を読了。

これで4部作を読んだことになります(あと2冊ありますが)。熱心な評判を先に聞いてしまったので「ふむふむ」という程度でした。でも、何も知らずに読んでいたら「かなり良かった(特に2巻までは)」と思ったかも。

1巻では、物語の世界に入るのに苦労。ファンタジーが山のように出ている今、昔書かれた物語は不利ですね(笑)。「本家」であっても、読む者にはどこかで聞いたような話に見えてしまうので。1巻だけは、ちまちま読んでしまったので、寝る前にもう一回読んでみようかな。印象が違うかもしれません。

一番ストーリー自体に引き込まれたのは2巻。自分が当然だと思って生きている世界の束縛と安定、外の世界に出る自由の重さというテーマ。テナーという女性の主人公の強さと、動揺、ゲドに惹かれる気持ちに、自分で戸惑う様子などに共感し、一緒に手探りで迷路を進んでいるように感じました。

3巻のアレンの物語は、ゲドとアレンの会話の内容には共感するものの、展開が冗漫な感じがしました。

そしてテルーの4巻。これは「アースシー」の物語にする必要があったのか疑問です。作者の哲学がてんこ盛り(それは3巻も)なので、読みながら読者が勝手に考えるには、いい材料かもしれないのですが。あのゲドは・・・。力をなくした男の話を書くのはいいけど、ゲドをあんなふうに書いてほしくはなかった。

というわけで、熱烈な『ゲド戦記』(このタイトルの訳は良くないと思いますが)ファンには、結局なれませんでした。1,2は哲学がうまくストーリーにはまっているけど、3,4はルグゥインさんの哲学がセリフの中で一人歩きをしている感じがして。

さて、原作を日本語で読んだ上で。再びジブリの『ゲド戦記』。

登場人物が理屈っぽく語る哲学は、そっくり原作からのもの。でも、話は別物。ということは、原作のファンはジブリアニメを見る必要はないかも(^^;)。

別物なのはいいとして、「わかりにくかった部分」(前の投稿で、反転になっている部分)こそが、アニメでの全くの創作(付けたし)部分だったと知って、ハウルの時と同様に、不信感まじりの溜息がでました。創作はいい。なんで、ちゃんと全体の筋を詰めないまま、出してしまうんだろうなぁ・・・。

前のブログで宮崎吾朗さんの「味方」と宣言したのに、味方っぽくなくなっててごめんなさいm(  )m。

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