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夏休み最後の土日。

雨が降りそうだった土曜日。

曇天のまま、降らないですみそうなので、南武線に出て多摩川近くの梨狩りに行ってきました。

気分はもう秋?

Vfsh0104 一人2キロずつ。

すご~く大きいので3個くらい、普通に大きいので4個くらいが目安です。

梨は、ちょっと上に持ち上げただけで簡単にもげてしまいます。

とり終わったあとは、剥いていただいた新鮮な梨を食べ放題。

おいしかったよ~。

Vfsh0105 子供達は、帰ってきたあとも地元のお祭りへ。

宿題やっているとすぐ疲れるのに、遊ぶ方のエネルギーは底なしなんだ。

東京は土日とも涼しいです。今日は私の実家ですごす予定。

夏休みも、もうすぐ終わりですね!

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「アイスワイン」をいただきました。

お盆休みが終わり。

先週末から、地方名産のお菓子などが職場で飛び交ってます。

そんな中でいただいたものの一つがこの、カナダの ICEWINE。

Vfsh0100

すごく寒くなるまで収穫を遅らせて、腐る寸前まで甘くなったブドウを収穫して作るそうです。

凍った状態になったブドウを収穫するから、アイスワインというんだよ、で、だからコストがかかるんだよ、とのこと。

小さいボトルなんですが、まともな大きさだととっても高いんだそうです。

「君は甘いものあんまり好きじゃないよね、でもこれはすごーく甘いから(^o^)、食後のデザートにどうぞ」と言われました。

いえ、私は甘辛両党ですから(*^^*)

Inniskillin ICEWINE NIAGARA VQA PENINSULA VIDAL と書いてあります。

Vfsh0101 ちょっとだけ飲んでみました。

蜂蜜のような芳醇さと梅酒のような甘さと、ドイツワインのような甘くて深い香り。

本当にデザートです。

沢山はいらないけど、ちょっと口にするにはおいしい。ちびちび飲みましたが、ちょっと、おつまみは思いつきませんでした。

「独立」させて飲むようなお酒だと思いましたよ。

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主婦的休日

久~~しぶりに家で一人、という、嬉しい状況。

私は明日も休みだし、外は小雨であまり出かける気もしない。

今日は、子供の夏休みのせいで?ガタガタになっている家の中を片付けて「ちょっぴり大」掃除をする日にします!(宣言しないと体が動かない)。

一階のリビングでは、夫の「勝手にコンピレーション」MDをかけ。(ダニエル・パウターのバッド・デイとか、ジェイムス・ブラントのユア・ビューティフル、ジャーヒムなど「かなり気分のいい最近の洋楽」を集めてます。これがコンピレーションCDなら買いたいくらい選曲がGood(笑))

二階の寝室には押尾コータローをかけ(一階と二階往復するから両方に音楽(^^;)・・・音楽がないと体が動かない)。

さあ、ぴかぴかにして、帰ってきた家族をおどろかせますよ!(←たぶん無理だ(笑))

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『ゲド戦記』4巻まで読了して(内容含みます)。

「お盆休み」。夕方から、夫と子供は夫の実家にお泊りです(夫は子供の目付け役)。といっても、歩いてでも行けるような距離で「お盆」は関係ないんですが。孫を預かってくれる姑に感謝しつつ残り物で一人の夕飯を済ませて、のんびりと『ゲド戦記』の3,4巻を読了。

これで4部作を読んだことになります(あと2冊ありますが)。熱心な評判を先に聞いてしまったので「ふむふむ」という程度でした。でも、何も知らずに読んでいたら「かなり良かった(特に2巻までは)」と思ったかも。

1巻では、物語の世界に入るのに苦労。ファンタジーが山のように出ている今、昔書かれた物語は不利ですね(笑)。「本家」であっても、読む者にはどこかで聞いたような話に見えてしまうので。1巻だけは、ちまちま読んでしまったので、寝る前にもう一回読んでみようかな。印象が違うかもしれません。

一番ストーリー自体に引き込まれたのは2巻。自分が当然だと思って生きている世界の束縛と安定、外の世界に出る自由の重さというテーマ。テナーという女性の主人公の強さと、動揺、ゲドに惹かれる気持ちに、自分で戸惑う様子などに共感し、一緒に手探りで迷路を進んでいるように感じました。

3巻のアレンの物語は、ゲドとアレンの会話の内容には共感するものの、展開が冗漫な感じがしました。

そしてテルーの4巻。これは「アースシー」の物語にする必要があったのか疑問です。作者の哲学がてんこ盛り(それは3巻も)なので、読みながら読者が勝手に考えるには、いい材料かもしれないのですが。あのゲドは・・・。力をなくした男の話を書くのはいいけど、ゲドをあんなふうに書いてほしくはなかった。

というわけで、熱烈な『ゲド戦記』(このタイトルの訳は良くないと思いますが)ファンには、結局なれませんでした。1,2は哲学がうまくストーリーにはまっているけど、3,4はルグゥインさんの哲学がセリフの中で一人歩きをしている感じがして。

さて、原作を日本語で読んだ上で。再びジブリの『ゲド戦記』。

登場人物が理屈っぽく語る哲学は、そっくり原作からのもの。でも、話は別物。ということは、原作のファンはジブリアニメを見る必要はないかも(^^;)。

別物なのはいいとして、「わかりにくかった部分」(前の投稿で、反転になっている部分)こそが、アニメでの全くの創作(付けたし)部分だったと知って、ハウルの時と同様に、不信感まじりの溜息がでました。創作はいい。なんで、ちゃんと全体の筋を詰めないまま、出してしまうんだろうなぁ・・・。

前のブログで宮崎吾朗さんの「味方」と宣言したのに、味方っぽくなくなっててごめんなさいm(  )m。

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宮崎吾朗さんの『ゲド戦記』の味方です。

行ってきました~。宮崎吾朗さんの『ゲド戦記』。

テナーの物語である2巻、アレンの物語3巻を使ってまとめたというアニメ映画ですが、私が読んだのは一巻だけ(14日追記・訂正: 2巻を読了。現実世界のいろいろなことを関連づけて考えさせられる内容でした。2巻の内容はテナーのセリフ以外では、アニメに反映されていません。アニメは、3,4巻の内容からのようです。)

朝日か読売新聞で、批評家の酷評を見てから行きました。

感想は「悪くないじゃない」です。私は基本的には宮崎(駿)さんもジブリも大好きですが、ジブリ擁護で言っているのではありません。

前回の『ハウルの動く城』も原作を読まないで見に行きましたが、ストーリーが意味不明だと思いました。その「意味不明」を理解しようと原書の原作を読んで、愕然。料理で言えば、元の素材を切り刻んで、その味とは関係なく自分の好きなものを後から入れて、てんこもりのサラダにしてしまったような印象。「ハウル」の中にあるのは宮崎ワールドの中に切り刻まれてお互いに関連を失った原作の「破片」だから、あんなにわかりにくかったのか・・。と思いました。

少なくとも、今回、全体のストーリーはもっとわかりやすかったと思います。もっとも「ハウル」は期待して行ったけど、今回は「ひどいのかなあ」と思って行ったという違いは大きいかもしれません(「ハウル」の批判は6割引きくらいで読んでください)。

アニメ『ゲド戦記』を見る前に知っておくとわかりやすいと思うのは、舞台となる「アースシー」の世界では、「真の名」が重要な意味を持っていること。なぜなら、真の名を知るものは、それを思いのままに動かすこともできてしまうから。もう一つは、「ゲド」は偉大な魔法使いの「真の名」で、「ハイタカ」がゲドの通名であるということ。最後に。死者の国の扉を開いてしまうと、自分の「影」(悪の部分?)に追われ、悩まされるということ。

一巻にこれらのことが出てきます。でも、一巻を読まないで行った夫も「少なくともハウルよりはずっといいよ、ストーリーがわかるし、メッセージも伝わったし」と言っていました。

ただ、これが子供の評判の悪さを物語っていると思うのが、我が子の感想。「まあよかったけど、すごく怖かった。ハウルの方が面白かった。」確かにハウルは、よく出来た「場面」のコラージュのようなので、「場面」の面白さはありました。「面白い」と思わせるツボは、さすがに押さえてあって、笑いもありました。

それに比べると『ゲド戦記』には場面の笑いが全くない。私はそれが悪いとは思いませんが。

さて、ここからはネタバレで、「それでも今回わかりにくかったところ。」など。これから見に行く人のために反転で。

まず、アレンが父親を殺す必然性がわかりませんでした。これが、かなり致命的なマイナスポイントだと思います。ここをもうすこし詰めていたら、批評家にぼろくそに言われなくて済んだのでは。

父との言い争いの場面でもあれば、少なくとも動機はわかる。また、その最中カッとなって・・というなら、アレンの性格からしてもわかる。計画的に、冷静に刺しているようなのに動機が見えない。最後まで、何もわからない。

「死があるから、生が輝く。限られた命だから大切」といったストレートで大切なメッセージが、あの父親殺しの不可解さの中で揺らいでしまうのです。そのメッセージが登場人物のせりふとして語られているだけで、それが強く感じられるエピソードが映画の中にないので、よけいに。

あと、テルーが突然竜になったのが理解できませんでした。なんで竜なんだ?竜なのに、なんでまた人間に戻っているんだ?

こういうことは原作を読めばわかるのかな。(追記:わかりませんでした(16日記事に書きました)。)

ともあれ、宮崎吾朗さん、ジブリの皆さん、お疲れさま!

監督1作目。普通なら、駄作なら単に無視されるだけ、よく出来れば評価されるだけのところを、公開前からいろいろ雑音や批判があって大変だった(今も大変だ)と思います。

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暑さに?車のバッテリーあがる。

東京は毎日晴天。酷暑です。

そんな中。愛車のバッテリーがついにダウン。

某お店の駐車場を出ようとした時、スンスンスン・・・と弱々しく「すねた」きり、エンジンがかからなくなりました(-口-;)ギャァー。

出たての新車を買って10年’しか’経ってないのに~(え?古い?)。エンジンは最高に調子いいのに~。

隣に止まっていた車の、(運の悪い)お兄さんに頼んで、ブースター・ケーブルをつながせていただきm(_ _)m、窓全開でスターバックス・・・じゃなくてオートバックスへ走りました。ケーブルをつないだら、すぐにエンジンはかかりました。

Autobacsa オートバックスに来てみると。 バッテリーって、いろいろ種類があるんですね。並んでるのを見て、思い出しました。

大昔スプリンター・トレノに乗っていた時、やっぱりバッテリーがあがっちゃって充電器を買ったのですが、結局充電ではだめだったんです(またすぐ上がってしまう)。それで、今回はいきなりバッテリー「買い」。

カタログの一覧表みたいなのを見ると、車種と大きさによって、どのバッテリーが適合するか書いてあります。純正品をディーラーで入れてもらうのが一番いいんでしょうけど、次の車検通すかどうかもわからないし。

ちなみに1万円ちょっとでした。オートバックスは、新しいバッテリーの代金だけで古いバッテリーを引き取ってくれました。

Autobacs_b そうか~「2年、または4万キロ保証」。これが目安じゃ、バッテリーが上がってもしょうがない。

夫に言うと、「でもこの間の車検の時、バッテリー換えてもらったよ?あれ?その前だったかな」

どっちにしろ、寿命でしょ。

とにかく、バッテリーが上がる・・・なんて、かなり久々の経験(^^;)。自分の車庫以外では初めてで、青くなりました。6ヶ月点検、いつもサボってるつけかも。ブースターケーブルつながせてくださったお兄さん、本当に助かりました。すみませんでした。この夏、君に沢山幸せが訪れますように!

さーて。次の車検、どうしよう。とりあえず、久しぶりに何か試乗でもしてみる?なんて夫と話してます。

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ブルーベリーの実

ブルーベリーの実がなりました。Vfsh0065

鳥たちのごちそうになっちゃう前に、

収穫!

黒いのだけ。ちょっとだけ。

一粒づつ、やさしい甘さ。

ついでに写真のピントも甘くてすみません(^^;)。

Vfsh0064_1

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命のこと。

夕食後、スイカを食べながら子供と話していました。

「ねえ、今度生まれてくるとしたら、ハナ(仮名)は男と女どっちがいい?」と息子。

「うん・・。どっちでもいい。タロ(仮名)は?」と娘。

「男でいい。ハナは本当にどっちでもいいの?」

聞かれた娘が、出し抜けに私に言いました。

「ハナはね、生まれてこなければよかったよ、本当は。」

「どうして?」

「だって、人間は必ず死ぬんでしょ。死ぬのは怖いもん。」

驚きませんでした。私にも同じ記憶があるから。

私が祖父を亡くしたのは5歳の時。亡くなった人が焼かれてしまうことに驚いて、自分の手を見つめた記憶があります。

・・・死んじゃったら、この手もあんな暗い中で焼かれちゃうんだ。本当に痛くないのかな。死んだら本当に全部自分がなくなってしまうのかな。もう5歳だから、5歳までと同じ長さをあと何回生きて、死ぬのかな。そんなにすごく長くはないような気がする。

ぞっとするような怖さ。生まれてきたことを、呪いのように感じました(そういう言葉で感じたわけではないけど)。同じ感覚を、娘も祖母の死で感じていたのだろうと思いました。

「大丈夫。ハナはまだ子供だし、こわいのも当たり前。

でも、これから生きていく中で、楽しい経験とか、辛い経験をたくさんして、何か世の中の役にも立って、いろんなものを見ていくとね、だんだん人生に満足していくの。

そうすると『いつ人生が終わっても満足だなあ。いろいろ経験してよかった』って思えるようになるの。がんばってそういうふうに生きて、死ぬのが怖くなくなってから静かにいなくなればいいの。そういうふうに生きていけば、怖くなくなるから大丈夫だよ」

「え?そうなの?恐くなくなって、静かに死ねるの?」

「ちゃんと生きたらね。そうだよ。」

「じゃあ、ハナは、おばあちゃんになるまで生きて、ちゃんと怖くなくなるようにする!」

*****

5歳の時感じた「死」の恐怖を、今の私はほとんど感じません。そういう意味では、子供に話したことは単なる気休めではないし、本音に近くもあります。

でも、それは今健康な身体で一応平和に暮らしているからで、もしも病気になったり死にそうな状況に追い込まれたりしたら、そんな安らかな気持ちでいられるはずがない。だいたい病気も事故も、人がどこまで人生に満足したかなんて考えてくれない。

そういう意味では、そうです。嘘をつきました。

自分に関して言えば、死ぬことより病気と闘う方が怖い。

「死ぬのが恐ろしいと思う時には生きているのだし、死んだ時には、怖いと思う自分がいないのだから、死ぬことが怖いということはない」誰の言葉だったか忘れましたが、名言だと思います。

同じ意味で、今の私は、自分が死ぬことより、人が死ぬことの方が辛いです。

****

子供の事故や事件のニュースを見るたび、その理不尽さに胸が痛くなります。

20歳まででも生きたら、少しは人生を楽しめるかもしれない。30歳でも、案外多くのことができるかもしれない。でも、6歳は?10歳は?

あまりに酷すぎる・・・。

****

子供と話して、自分の子供の時のことを思い出したり、夏休みの水難ニュースを見たりしていて。

まとまらない思いをそのまま書きました。

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