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藤田嗣治展について今頃書いてみる。

Fujitapane 国立近代美術館に「生誕120年 藤田嗣治展」を見に行ってから10日。明日から京都会場で藤田展がはじまります。

東京では、平日とはいえ最後の金曜に行ったこともあって、本当に込んでいました。美術展がすごく込むということは、離れて絵の全体像をゆっくり見ることができない・・・ということ。近づくことはなんとかできますが、全体を見ようとすると、絵の下半分は人の頭で隠れてしまいます。

おいしいコーヒーだって、ケーキだって、落ち着ける場所でゆっくり食べるのと、雑踏の中で人にぶつかりながら立って食べるのでは味わいが違うのと同じで、とにかく藤田嗣治展は、ゆっくり味わえないストレスがありました。とても残念でした。しかし、初めての本格的な回顧展では仕方ないです。藤田の作品の、時系列での変化もよくわかりました。

込みようにうんざりしながら見はじめたせいか「乳白色の肌」も「面相筆を使った繊細で美しい線」も、「肌なら伝統的な日本画の肌の方が遥かに繊細だし、確かに美しい線だけど日本画の世界にはもっと繊細な線がかける人がいるし・・・「眠れる女」は本当に素晴らしいけど、構図や黒白の画面はオランピアみたいだし・・」というような、藤田否定派に近い価値観で眺めはじめた私。

けれど、藤田の時代は日本人画家達が西洋絵画の技術を学び、それを使って描こうとしていた時代。その中で、肌の質感を出すためキャンパスに独自の地塗りをし、当時の流行に反して薄塗りをし、墨も面相筆も使うなどし、西洋の油絵と日本画の垣根を破って自分のスタイルを作ったことは、素直に評価するべきだと思います。

しかし、個人的にむしろ印象的だったのは動物と子供でした。他の絵は、技巧を凝らして頭を使って描いているように見えたけど、動物と子供の絵は、どれも画家が本当に楽しんで(自分のために)描いているように見えたから。

人はほとんど無表情なのに、動物の方に生き生きとした表情があるのです。「ラマと四人の人物」など、無愛想な表情の中南米の四人の女性の後ろで、ラマだけが笑っていました。これは後半でしか展示されなかったようですが。

藤田と君代夫人を配した「礼拝」でも、なぜか一番力をいれて描いてあるような気がしたのは、下の方にいる小鳥のようだったり。

晩年の子供達の顔は「みんな猫だー」と思いました。乳白色の肌の時代(?)に描いた「ライオンのいる構図」という大きい絵の中央下でも、ライオンの檻の横に立っている子供が明らかに変な顔。檻の中のライオンそっくりだったのが印象的だったので、余計にそう思ったのかもしれません。でも、これから京都などでご覧になる皆さん。子供たちの顔の上に、想像で「猫耳」をつけてみてください。完全に猫の顔になるはずです!?

そして戦争画。アッツ島玉砕の前では言葉を失いました。頼まれて戦意高揚のための絵を描く、というより、純粋に画家としてのプライドを持って、完成度の高い絵画を作ろうとしたんだと思います。去年行った川端龍子の展覧会にも、従軍した時のものが出ていましたが、こんなすごい絵はなかった・・・。

ノートルダム・ド・ラ・ペの壁画とステンドグラスは、写真だけでしたがとても気にいりました。いつか本物を見たいなあ。きっとすばらしいと思います。

・・・と、ここまで書いてきて。「この展覧会の作品、ひとつあげるから持っていきなよ」と藤田画伯に言われたら(笑)迷わず猫の花瓶です!これには本当に一目惚れして、欲しい!と思いました。あとできれば、お皿も。あとボトルと箱とタイルも欲しいんですけど・・・(やはり私の趣味は微妙にB級のようで)。

さて、展覧会のあとにNHKプロデューサーの近藤史人さんの本「藤田嗣治「異邦人」の生涯」(講談社)を読みました。

母を幼い時に亡くし、パリでは道化を演じて居場所をつくろうとし、また、自分を頼るものには優しかった藤田の生涯。限りない自負心と、誤解されるばかりで常に(日本では)正当に評価されないという思い。(私はついトルーマン・カポーティを思い出してしまうけれど、芸術家によくあるストーリーなのかもしれません。)

藤田の死後、日本への不信感から、藤田作品の日本での公開を拒否し続けた君代夫人と、その心の扉を開くまでのいきさつ。未だ出版されていない、夏掘全弘氏が書いた伝記の草稿に藤田本人が書き込みをした「自伝」の存在。

藤田の絵に興味がない人でも、興味深く読める内容です。こちらもおすすめです。

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コメント

ぼくてきさん?(何とお呼びすればよいものでしょうか?)
初めまして、sadaといいます。ココログTOPから来ました。
私は京都展を心待ちにしていたひとりです。
学生時代に通った「関西日仏学館」内のカフェ「Le Foujita」が藤田との遭遇でした。映画の帰りにコーヒーとバナナケーキ、そして氏の画に寛いだ時間を思い出します。

投稿: sada | 2006年6月 2日 (金) 16時24分

sadaさん、初めまして。
書き込んでいただいて、うれしいです。ブリジストン美術館の「巴里風景」も京都展には出品されますね。

ぼくてきがHNです。
ココログに登録した時、事前に考えてなくて目の前にあった墨汁の名前をつけてしまいました。
でも藤田のことを書く管理人にはぴったりでしょう(笑)

関西日仏学館のカフェに
藤田の絵があったのですか。
贅沢な時間をすごされたんですね。
今回の展覧会でも、そういうゆったりとした見方がふさわしい、静かな絵がたくさんありました(だから雑踏状態なのが、仕方ないけど残念でした)。私は、藤田は版画の展示即売で窓際にいる猫の絵を見たのが初めです。

投稿: ぼくてき | 2006年6月 2日 (金) 20時39分

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