« 押尾コータロー「とくダネ」出演セットリスト | トップページ | 落ち込むダメ母。 »

川端龍子展を見る。

「かわばたりゅうし(1885年~1966年)」は男性の日本画家。

江戸東京博物館での生誕120年展が11日で終わってしまうので、昨日仕事帰りに行ってきた。

日本画家、といっても初期には世俗的な絵を描いていたようで、下絵を描いた双六も展示されていた。『漫画東京日記』の絵(挿画として描かれたもの)などは、その曲線の遊びがロートレックを思わせる。画家としての飛躍のために渡米し、その後日本画に転向したそうだが、初期の絵に見られるような自由な精神は、晩年までのどの作品にも感じられた。

会場は屏風絵スタイルの大きな作品が多かったが、最も気に入った3点についてだけ書こうと思う。

「請雨曼荼羅(せいうまんだら)」

ふすま一枚くらいの大きさだった。セピア色の色調の絵の中で、まず目に入るのはまもなく沈もうとしている夕日の紅と、泥鰌のような魚を飲み込もうとしているサギのような鳥の白だ。一見普通の日本画だが、この絵の前では寒気を感じた。画家の魂の一部がそこに残っていることを感じる絵だ(こういう「寒気」は、印刷された絵からは受けたことがない。印刷されると死んでしまう何かがあるのだと思う)。

白い鳥の周りにはガマの穂と葉。一本分の葉と茎だけ、サギの背に沿い、空に向かってうねった曲線で描かれている。鳥の足元には笑ったような顔をした鯰と、不自然に体を曲げ、目を剥いている鯉が。

近寄って見ると、沼には踏みつぶされた蛙や、葉陰で息を潜めている小さい蛙、亀などが描かれているのがわかる。残酷さを超えた自然の日常、無数の生と死がそこにある。

「龍巻」

全体は青と白だけの印象。嵐の海のようだが、中央下には不自然に頭をもたげたサメが描かれている。一瞬、展示の担当者が上下を間違えたかと思ってしまうのは、絵の中のエイ、イカ、そして何匹もの大きなクラゲが皆下向きだからだ。下の方に波が見えることで掛け間違いではないとわかる。

絵の前にある椅子に座って見ているうちに、クラゲの足がみな炎のように見えてきた。海の生を巻き込み、生命と共に白く燃える、水の炎。

「夢」

平泉の藤原氏のミイラに着想している絵。全体は金泥で彩られている。棺の中に、ミイラ化した死体の半身が見える。そして、その上を飛ぶのは、大小の美しい蛾の群れ。「請雨曼荼羅(せいうまんだら)」を見た時にもぼんやり連想したのだが、ここでもクリムトやエゴンシーレの絵が頭に浮かんだ。絵自体は似ていないのだが。私にとって蝶や蛾は魂そのものを思わせる存在だ(本物は苦手)。

他にも、「草の実」などは雑草をここまで描けるのかと画家の力量にうなった。気に入った作品は『大田区立龍子記念館』から借りたものが多かったと思う。椅子が多いので、ゆっくり時間をかけて見ることができてよかった。

(もう少し早く紹介できれば良かったのですが、展示は明日までです。余談ですが常設展の方では、今だけホンダN360やスバル360などが展示されていて、おお~見られてラッキー!という感じでした。←あ、いつもの文体に戻ってしまった。)

|

« 押尾コータロー「とくダネ」出演セットリスト | トップページ | 落ち込むダメ母。 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/131466/7561580

この記事へのトラックバック一覧です: 川端龍子展を見る。:

« 押尾コータロー「とくダネ」出演セットリスト | トップページ | 落ち込むダメ母。 »